CTuberという便利な概念が何故定着しなかったのか
CTuberという単語をご存知だろうか。
VTuberという言葉と、Characterの頭文字Cとを組み合わせた言葉である。
とある人気VTuberグループが 炎上した 色々あった頃に運営会社が出した声明が語源で、端的に言えば『中の人に頼らない、デザインされたキャラクターがVTuberという体で視聴者と触れあう、台本ありきのVTuber』だ。
当時の私はこれは画期的な言葉だと思った。
原作を持つキャラクターのVTuberチャンネルは当時から今にいたるまでいくつもあるが、パターンとして
- 原作に忠実に、基本的に台本を用いてキャラクターを動かして原作ファンを楽しませるもの
- 話す内容はおおよそ演者に任せ、声優の素が漏れるなどキャラ崩壊的な要素を楽しむもの
この二つに分類できると思う。前者は作品の番外編的な楽しみ方で、後者は一般的なVTuberに近い楽しみ方だ。
原作がなく、動画や配信という形で作品を展開する場合でも、キャラクター遵守の程度で同じく分類できる。
好きなキャラクターがVTuber化した時、どちらであるかは実際に見るまで分からない。
キャラクターが話してくれるのかと思ったら、キャラ崩壊を起こしていて落胆、VTuberを見たいのに、台本で喋ってるだけでがっかり。
そんな事態が起こり得る。
そして、その対応策として、CTuberという概念は非常に便利だ。
VTuberデビューとCTuberデビューとを使い分ければ、原作に忠実なのか、中の人とキャラのギャップを楽しむのかを見る前から判別できる。
また、私のようにキャラクター性を忠実に守るタイプのVTuberを追いたい人(そんな人他にいるのかな?)にとっても、CTuberを名乗ってくれれば見つけやすい。
でもその場合CTuberとVTuberの境の基準が問題になると思う。
……そんなふうに活用されることを期待していたが、実際はそうはならなかった。
その後CTuberという言葉を使ったのは、サンリオのキティ先輩くらいで、他にはちらほら使う人が確認できる程度だった。
今ではもう誰も使っている人を見ないし、先日ハローキティチャンネルの過去動画も全て消えてしまっため、もうこの概念はネットからほとんど消えてしまったように感じる。
考えてみたら出自がいわく付きの言葉であり、「演者を大切にしない企業」の様な印象を与えてしまいかねない言葉を使う企業が無かったのは当然だろう。
キャラクター設定を遵守するタイプのVTuberも、人気作品を原作とするもの以外はほとんど淘汰されてしまい、使いどころも無い。
(さらに言えば人気作品のVTuberは、昨今はVTuberとは名乗らず『○○ちゃんの配信』のようなタイトルでそのキャラクターのコンテンツを配信しており、ファンもVTuberだと思って見ていない。)
そもそもキャラクター設定を遵守するようなVTuberを求めている人は、膨大なVTuberの中から稀少種を探すなんてことはしない。普通に漫画やゲームのキャラクターを追うだろう、そりゃそうだ。
CTuberなんて誰も求めていないのだ。
そう思い、自分もこの言葉を忘れかけていた。
しかしここ最近、再びキャラクターを動かすタイプのVTuberを散見するようになった。とあるIPからVTuberがデビューした時に、キャラクターを守っていないとがっかりしている人も見た。
そういったものを見て、久しぶりにCTuberという言葉を思い出した。
もしこの概念が生きていたら、この悲しいすれ違いは起きていなかったのではないだろうか……そんなことを考えるのだ。